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東京高等裁判所 昭和40年(う)2799号 判決 1966年9月22日

控訴人 宮崎征子

弁護人 山川恵正

検察官 木村喜和

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人山川恵正作成提出にかかる控訴趣意書記載のとおりであるから、これをここに引用し、これに対し次のとおり判断する。

一、所論第一および第二について、

所論は要するに、被告人は公職選挙法第二二一条第一項、第一号第四号にいう選挙運動者でもなく、また鈴木候補を当選せしめる目的もなかつたのであつて被告人が受取つた金六万円は被告人の労務に対する報酬に過ぎないから犯罪は成立しないというに在る。よつて一件記録を精査して案ずるのに、原審挙示の証拠を綜合すれば、被告人は鈴木行雄が判示選挙に立候補するに際り、放送の経験を買われて同候補のため街頭遊説の自動車に乗り、スピーカー放送により同候補の宣伝をする仕事を依頼され、一日の日当を三千円と定めてこれを引受け、二〇日間右仕事に従事した結果その報酬として判示のとおり合計金六万円を受領したものであること、その放送の内容は右候補者の氏名や所謂スローガンを述べ、同候補に投票せられ度い旨のものであることが明らかである。尤も右放送はすべて鈴木政一等から渡された放送原稿によつたものであつて、放送の都合により多少字句を変動し、または放送する原稿を何にするかを決定する程度のことはあつても、自ら放送原稿を作成したり、臨機に原稿によらず自らの意見を放送したりしたことはないこと、ならびに右行為は終始放送車中で行われ、公衆の面前に姿を現わしたことは一度もないことなどの事実も認められる。しかし、およそ特定の選挙に際し、特定の候補者の氏名、スローガンを述べ、その候補者に投票せられ度い旨の放送をすることは、とりもなおさず選挙人を勧誘する演説類似の行為であつて、単なる労務行為とはその性質を異にし、正しく選挙運動であり、またその放送は、その行為自体、およびその内容よりして当然同候補者に当選を得しめるために為されたものであつて、右六万円はその運動に対する報酬といわねばならない。そして選挙運動者がある候補者が当選を得、または同候補者に当選を得しめる目的で供与するものである情を知りながら金員の供与を受けた場合には、公職選挙法第二二一条第一項第四号の適用があるのであつて、その運動者が、供与せられた金員に相当する労務を提供していても、また被告人の行つた運動が適法なものであつたとしても、その理に何等かわりはない。

よつて被告人に対し、公職選挙法第二二一条第一項第四号を適用した原判決には事実誤認も、法解釈の誤りもなく、所論は理由がない。

(その余の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 石井文治 判事 山田鷹之助 判事 渡辺達夫)

弁護人山川恵正の控訴趣意

一 金銭(合計六万円)交付の趣旨に関する事実誤認

原判決は被告人宮崎が候補者鈴木行雄のための投票取纒等の選挙運動をなすことの依頼を引受け、若くは右投票取纒等の選挙運動をなしたことの報酬として、合計六万円の供与を受けたものであることを認定したが、右は全くの事実誤認である。

即ち、被告人宮崎が受領した計六万円は、何れも、同被告人が候補者鈴木行雄の宣伝アナウンスの仕事を担当したことに対する労務対価、いわゆる労賃若くは日当の合計額(労賃の前払、中間払後払)の本質を有するものであり、同被告人にとつては労働に対する正当な対価として交付を受けたものであることは原審で取調べた各証拠上明瞭である。

以下、その理由を遂一挙げて論証する。

(一) 労賃若くは日当として受領する実体の存在

被告人宮崎は宣伝カーの上乗りをして街頭放送の労務に現実に服したものである。即ち、昭和三八年一〇月三一日の選挙公示の日から、投票日(同年一一月二一日)の前日迄の二十一日間において、労働を休んだのは一一月一四日の一日だけで(これも病気のためである)、二十日間はフルに働いているのである。

而して、右二十日間のうち、一七日間は、一日の労働時間は実働約一四時間(午前七時から午後九時迄)にも及び、その余の三日間は練馬病院に通院しながら働いたが、それでも一日の労働時間は実働九時間程にも及んだのである。(被告人の公判供述第五九二丁、外各証拠上明らかである)

右のように、労務提供の事実が厳然と存することは、被告人宮崎が原審において、本件の六万円を労賃若くは日当として受領したものであり、票の取纒等の報酬として受領したものではないと弁解していることが単なる言い逃れでないことを示す最も重要なメルクマールである。

加うるに、被告人は、アナウンスの仕事をする決意をするに際して、日当額については勿論、労働時間や、宿泊、食事等の関係についても人を介し、条件を提示し、雇われた経緯等に鑑みると、被告人が右六万円を労賃若くは日当として受領する明白かつ合理的実体が存するのである。(鈴木則夫の検事調書第一九八六丁以下並びに被告人の公判供述第五八〇丁等)

(二) 金額六万円の根拠-日当計算

被告人に合計六万円が授与されたのは、最終的には、一日三千円の約定賃金に、被告人が実際に働いた日数(前記のとおり二十日間)を乗じて計算した上で支払われているのである。

右、六万円は漠然たる規準で交付されたものではないのである。(栗城章二の昭和三八年一二月二一日付検事調書第六項以下)この点は、原審における他の相被告人に支払われた金銭が、右の如き厳格な日当計算に基づいて支払われたものではなく、漠然たる規準で支払われているのと大きな差である。(栗城章二の昭和三八年一二月一一日付検事調書御参照)

(三) 日当額(一日三千円)の妥当性

被告人が受領した一日三千円の割合による金銭は、その労働のきびしさに鑑みると労賃若くは日当として極めて妥当な金額であつた。

被告人は選挙運動期間中前記のとおり誠実に、責任感をもつてその労務に服したのであり、その労務が非常な激務であつたことは、その勤務中途において急性膀胱炎に患つてしまつた事実からも明らかである。(弁護人提出の練馬病院の医師の診断証明書御参照)

而も、当時被告人は他に職業(ホステス)を持つており、その収入は一日約二千円乃至三千円になつていたこと、鈴木行雄候補のアナウンスの仕事をするときは右職業を放棄しなくてはならないこと等を考え合わせれば、同被告人が受領した一日三千円の割合による労賃(日当)は決して労賃(日当)として不相当な額のものではなく、むしろその金額は良心的であつたと見られる合理的根拠が存するのである。

而して、一般的にも選挙に際し、放送者の労賃が通常一日約三千円程のものであつたことは、本田証言(第一、九五一丁以下)や被告人の公判供述(第五七三丁以下)からも明白に認められるところであります。

もつとも、被告人が受領した金額のうち、法定選挙費用を超える範囲については、供与者のみが処罰の対象となるべきことである。

以上三つの理由(労働の実体、日当計算による支給金額の妥当性合理性)により、原判決が被告人の受領金員につき、之を票の取纒等の不正な対価と認定したのは全くの事実誤認である。

二、 金銭交付の趣旨に対する被告人の認識(犯意)の不存在について事実誤認

-被告人のアナウンスの職業経歴並びに就職意識について。

被告人宮崎は旧来(高等女学校時代)からアナウンスの仕事に興味をもち、広告宣伝社に勤めた経験もあり、アナウンスの職業には生甲斐すらを見出していたのである。(被告人の公判供述五七三丁以下、五九三丁の裏)また、特に被告人は職業として選挙のたび毎に、選挙関係のアナウンスをなしてきた実績も存する。

従つて、被告人は純然たる職業意識の下に鈴木行雄候補の宣伝アナウンスの労務に従事したにすぎないのであつて、被告人にとつてみれば、本件も一種の一時的短期間の就職であつた。

而も、被告人の目的とするところは、アナウンスの仕事それ自体であつたのである。

候補者の当選、落選は被告人宮崎にとつては、一抹の関心ぐらいは存したかも知れないが、これは犯意とはおよそ異るものであり右当落そのものは、被告人の目的とするところではなく、それは自然の成行に任せらるべき結果にすぎなかつたのである。

このことは、当然にその受領した六万円が、被告人にとつては、二十日間働いた労働に対する日当労賃の総計であり、アナウンスの仕事に対する対価としての意味を外れるものではなく、従つて被告人には、右金銭交付の趣旨に対する犯意が全くなかつたことを明確に論証づけるものである。(被告人の公判供述第五七〇丁以下、本田豊作の証言第一、九五〇丁以下鈴木則夫の検事調書第一、九八六丁以下)

この点に関し、被告人の昭和三八年一二月二三日付検事調書の終り頃に、「勿論、私は鈴木候補を当選させたいと思つて……運動をして参りましたが、こういう筋合のお金をもらつていて悪かつたと思います」という記載が存し、恰も被告人の犯意が認められるような文書が存するが、右述の如き、被告人の職業経歴並びに本件アナウンスの仕事を決意するに至つた際の就職意識から鑑みると、右検事調書の記載は著しく不自然な、かつ、抽象的な供述であり、取り調べ検察官の誘導により記述されたことは、被告人の公判供述からも明白である(第五九一丁)。従つて右点に関する検事調書の真憑性は全くない。

更に、右犯意の有無の判断については、被告人宮崎以外の原審被告人らが、候補者鈴木行雄と親類関係が存するか、若くはその当落について何等かの利害関係が一致し、若くは主義主張を同じくしていたのに反し、被告人宮崎は全く、候補者と何ら関係がなくその当落に同被告人が直接関心をもたなくても何ら不自然ではないことを十分に御明察賜りたい。

第二原判決は、公職選挙法第二二一条第一項各号の解釈適用を誤つたものであるから破棄さるべきである。

-公職選挙法第二二一条第一項の選挙運動者の範囲、選挙運動の内容について-

一 公職選挙法第二二一条第一項第四号、第一号、第三号の犯罪はいわゆる目的犯であり、当選を得、若くは当選を得しめる目的(以下単に当選目的と略称する)が構成要件とされている。(当選を得しめない目的の場合は本件と関係ないので以下略す)而して同条項の選挙運動者の範囲(選挙運動の内容)を論定するためには、右当選目的から之を帰納して解釈しなくてならない。何故なら、右条項の供与を受ける罪が成立するためには、供与を受ける選挙運動者において、供与を受けるに際し、供与者が前記当選目的を有し、かつその目的達成のために金品等を供与するものであること、換言すれば、当選目的と選挙運動者に対する金品の交付が、目的、手段の関係で結合するところに、公正であるべき選挙制度が害される虞れが存し、この故に右処罰規定が設けられているものである。

二、 従つて、右供与罪若くは受供与罪の主体(犯人)としての選挙運動者の範囲(選挙運動の内容)としては、

(イ) 選挙運動者たる者は、自ら直接又は間接に、選挙人に働きかけ、候補者の当選目的を達成させるべく、票の取纒等の運動をすること。

(ロ) 右票の取纒等の運動は、自づと法の許容する正当な運動ではなく、選挙人の投票が誤つてなされる虞れがあるような形態のもの、従つてそれは、不正なものであり、公然、公明でない運動であること。

(ハ) 右運動の方法、時期、手段、場所等は、全く運動者の任意であり、その裁量に任せらるべきものであること。の各要素が要件となるべきものと解される。

勿論、選挙運動者が、金員の授受により、実際に右の如き運動をしたか否か、又、金品授受の際真実右の如き運動をなす意思を有していたかどうかは同条の構成要件上必要ではないと解するが、少くとも、金品の供与を受ける選挙運動者たる者は前叙の如き、公然、公明性のない、かつ運動者の任意(裁量)に委ねられた票の取纒等の運動をなすことの報酬として、即ち、公正な方法によらずして当選目的を実現すべき運動をすることの対価として金品の供与を受けることを要するのは当然である。

三 然るに、被告人宮崎には、本件の金銭(六万円)の受領に際し、右のような目的意思(当選目的)に関する認識がなかつたことは勿論、その為し、又は為さんとした選挙運動の内容に関しては、右の如き、非公然、非公明的若くは自由裁量的要素は全く存しなかつたのである。

即ち、被告人は宣伝カーに乗車して候補者の経歴及びスローガンを街頭放送するという選挙法上、許容された運動(労務)をなしたに止る。従つて、その選挙運動は全く法の許容する公然・公明正大なものであつた。

また、その労務の内容をみてみても、アナウンスそれ自体の技術としては相当高度のものが必要とされたとしても、放送の原文は被告人の意思により任意作成されたものではなく、相被告人であつた鈴木政一から手渡された原稿を読んで放送したのであり、かつその放送の時期、区域等も宣伝カーの運行自体被告人宮崎が直接指示していたわけでは全くないのでこの点についても被告人は全く裁量権など持つていなかつたのである。被告人は与えられた原文を単に機械的・反復的・形式的にアナウンスしていたにすぎない。(被告人の公判供述五七四丁裏以下、鈴木政一の公判供述五九六丁以下、栗城章二の公判供述九二九丁裏)

四 もつとも、被告人は右原稿を全くその字句通りに読んで放送していたのではないことは勿論である。

「て」、「に」、「を」、「は」を変えたり、原文(男性の作文したものである)を女性的表現に変えたり、朝晩の儀礼的挨拶文句を時に変えて放送したり、車の速度に合わせてアナウンスの速度を変えたりしたのも事実である。(被告人の公判供述五八六丁裏、五八九丁、五九二丁)然し、右程度のことで被告人の運動内容が機械的、形式性を失うものと判断するのは早計であり、かつ、右程度のことで、被告人のしたアナウンスが被告人の裁量(自由判断)に任せられたものであり、従つて当選目的を実現させるべく被告人独自の判断に基づく選挙運動が行われたと目するのはあまりにも非常識的皮相論である。

検察官の論告中には、被告人は単なる機械的労務者ではなく、相当の自己判断(裁量性)をもつた選挙運動者であつた旨の意見が表明されているが、被告人並びに弁護人には到底納得しえないところである。

之を実質的にみて、被告人宮崎がしたアナウンスの選挙運動により、選挙民の投票権の正しき行使を誤らしめるような虞れは全く存しないのであり、却つて候補者の経歴、スローガンの放送は、選挙民が多くの候補者の主義主張をよく把握して、その一票の正しい行使を図るための不可欠の材料を提供するという正当な運動であつたのである。元来行為者の判断(精神活動)を全く伴わない労務というものは、労務が人間の行為である以上、あり得ないが、前記の如く、被告人が放送の原文を女性的表現に変えたり、車の速度を考慮してアナウンスしたり等したからとて、直ちに候補者の当選を目的としての判断の発露であると見るのは全くの論理飛躍であるし、更に之により選挙民の公正な投票権を害し、若くは之に不当に作用する虞れがあるなどとは到底考えられない。

五 かく、公明正大にしてかつ機械的労務を内容とする選挙運動者は、本来公職選挙法第二二一条第一項各号の選挙運動者に該当しないにも拘らず、原審が被告人宮崎に同条項を軽々しく適用し、有罪の言渡をしたのは、明らかに原判決が公職選挙法第二二一条第一項第四号第一号第三号の「選挙運動者」に関する解釈を誤つたがため不当に被告人宮崎に対し同条項を適用し、誤つて有罪の言渡をしたものに外ならない。

(その余の控訴趣意は省略する。)

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